日本遺産案内マップ
西日本最大の金山。明治時代、生野鉱山とともに官営化され、現在も鉱山関連の工場が稼働し、鉱山に関わる街並みが残っています。
かつて日本一の錫鉱山で、銀・銅も採掘していました。今でも抗道跡が多数残っており、抗道の見学もできます。また、明延鉱山と神子畑を結ぶ明神電車(通称「一円電車」)も展示されています。
元は鉱山で、大正6年から明延の鉱石を選別する施設になり、最盛期には東洋一の規模を誇っていました。明延にあった外国人技師の官舎を移設し、鉱山事務所として利用されていたムーセ旧居もあります。
神子畑から採掘された鉱石を生野にある精錬所に運ぶため鉱石の道に架けられた鉄橋です。神子畑鋳鉄橋は、全鋳鉄製の橋としては日本最古のもので、国の重要文化財にも指定されています。
明治元年に政府の直轄となり、最新技術が投入された日本の近代鉱山第1号で、抗道の見学もできます。銀の馬車道の終着点で、明治に造られた精錬工場が今も稼働しています。また最近は、地下アイドルGINZAN BOYZでも話題になっています。
屋根に生野で作られた赤瓦を葺き、基礎に精錬後の不用物を方形に固めた「カラミ石」を用いた建物などがあり、採掘に関連する役人や商人、鉱夫が生活した鉱山町独特の風景が形成されています。
銀の馬車道は、生野・姫路間の49kmを最短で結ぶ日本初の高速産業道路として、明治9年に完成した道で、重い鉱石を運搬しても耐えうる画期的な構造の馬車専用道でした。道の駅「銀の馬車道・神河」の近くに、残っています。
粟賀町は、生野の玄関口として、鉱山で必要な物資を揃える搬入基地の役割を担っていた宿場町です。また、町の中には、お茶問屋の邸宅跡である竹内家住宅もあります。
銀の馬車道沿いの江戸時代からの宿場町です。当初計画では馬車道のルートから外れていましたが、嘆願書を提出して道が通ることとなりました。
東西南北の街道が交差する地点にある宿場町で、馬車道の物資中継の拠点となっていました。この町には、大庄屋の屋敷跡の三木家住宅をはじめ、河童の妖怪で有名な辻川山公園や柳田國男の生家などがあります。
碑には、道をつくる経緯や意義、尽力した人々の名前とともに、当時の日本では未曾有の事業であったことが記されています。この場所は、馬車道を整備するうえで最も難工事であった場所だったことから、起点や終点ではなく、この地に碑が建てられました。
銀の馬車道の発着点で、生野鉱山の物資を専用に扱う貨物港でした。馬車道に伴ってつくられ、今でもレンガ製倉庫や港湾護岸が残っています。